子供向けAI その1(日本文化・ネット文化・AIの交差点からの私的考察)

この連載記事は、老い先短い自分の意識整理のためにまとめておるものじゃ。 と言っても、遺書ではないぞ。あくまでも、落書きじゃ。 自己紹介ページにも書いておるが、ワシは昭和30年代前半生まれのジジイじゃ。 餓鬼の頃は、田舎暮らしだったので、「おかあさんといっしょ」や「ひょっこりひょうたん島」、「サンダーバード」や「鉄腕アトム」をみながらボーイスカウト(カブスカウト)で遊びながら、アマチュア無線などもはじめ他影響でIT関係で食いつないできたが、もう年なんで、引退しておる。 学生時代は、戦後の西欧化の浪をうけたからかどうか判らんが、普通の反抗期とは別に、先公、もとい、先生に逆らってばかりおったせいか、現代国語でも赤点をくらうようなひねくれもんじゃった。 とはいえ、なんとか務め終え、今はカミサンと余生を楽しんでおるのじゃ。 ただ、餓鬼のころ野山を駆けまくった記憶が頭に残っておるせいか、退職後はもっぱら庭いじりやら家庭菜園で野菜を自給するなど細々と暮らしておる。 最近では、AIというものが普及してきており、ワシも少しずつ勉強しながら使っておる。これは、確かに注意は必要じゃがとても便利な物なので、それを否定しようとは思わん。 ただ、頼りすぎんように心がけておる。いわゆる、デジタタルデトックスというやつじゃな。ワシは、勝手に、「二値化毒消し」などと読んでおるがのう。(笑) 聞くところによれば、アメリカにはバテレンの流れをくむアーミッシュという、やはり文明に自制的な考え方の人も居るらしいが、彼らはもっと意図的に文明を遠ざけておるらしく、道具という側面での考え方はワシとは大きく違っておるようじゃ。(彼らを否定するつもりはないぞ。誤解せんように。)…

短編小説 晴耕雨読する哲学者モドキ-外伝 (その4 となりのトロロにケチャップは不要)

前作「短編小説 晴耕雨読する哲学者モドキ-外伝 (その3)」の続きです。 フロリダの午後。 静子は、いつものようにキッチンで献立を考えていた。 「そういえば、最近、山芋も食べてなかったわね。でも、この辺じゃ手に入らないし... ねぇ、AIさん、何か代用品ある?」 (※山芋:日本原産のイモの仲間。生の状態で触るとかぶれやすい。詳しくはリンク先を参照ください。) 静子さんにぴったり合う「代用トロロレシピ案」を、いくつかご提案します。 1.

こども十牛図

💡 十牛図とは 十枚の牛の絵になぞらえて人間の精神的な成長のプロセスを表したもので、仏教(特に禅宗系)で昔から用いられてきたものです。 近年ではマインドフルネスの普及に伴いビジネスフレームワークとして使われる場合もあります。 下の画像は、commons.wikimedia.orgでPublic Domain として公開されている複数の画像を、紹介用に一まとめにしたものです。 (Public Domain :…

無料新作マンガ「二宮尊徳さん伝説」 

かつては小学校に、薪を背負って歩きながら本を読む二宮尊徳の像がよく見られました。これは単に勤勉を促すだけでなく、あえて今風の言葉で言うなら「タイパ」(タイムパフォーマンス)の知恵でもあったように思われます。 しかし、時代が変わって歩きスマホが社会問題となると早々に、ほとんどの二宮尊徳の像は撤去されてしましました。 古き良き時代を知っている者にとっては、何とか二宮尊徳の精神を今の時代に復活させられないか、例えば二宮尊徳がスマホを投げ捨てる銅像を作っては? などという妄想が浮かんだりすることさえあります。でも現実には、そんなふざけた物はありません。 むしろ、昔の二宮尊徳の像を撤去することでスマホの存在さえも子供達に意識させないようにする、そんな奥深い知恵が働いているようにも思えます。 また、諸外国ではオーストラリアの16歳未満禁止、米国の一部州の厳格規制、欧州の親同意義務など若年層のSNSの利用制限を法制化する動きも進んでいます。 二宮尊徳さんの像は、もう本当に引退の時期を迎えているのかもしれません。でも、図書館の中に、二宮尊徳の教えを面白く伝えるマンガが一冊ぐらい蔵書として残っててもいいとも思うのです。 そこで、以下のようなマンガの案を考えてみました。 校庭の片隅に立つ二宮尊徳像。ある日、とうとう撤去されてしまうことが決まりました。 「歩きスマホを助長する」という理由で。…