AIはマインドフルネスじゃ

マインドフルネスと聞くと、何かスピリチュアル的な怪しげなものというイメージを持たれる方もいるのではなかろうか? 確かに、仏教思想が背景にあるのじゃが、マインドフルネス自体は宗教とは無関係で、単に仏教でも用いられている小ワザのようなものだとワシは理解しておる。 もう少しわかりやすい、別の例を挙げるなら「アンガーマネジメント」という言葉を聞かれたことはないじゃろうか? 何かに😡ムカついたり💢カチ〜ンッと来た時、すぐに感情を表さず深呼吸するなどして、6秒間だけ待ってから対応するように心がけることじゃ。 この6秒の間に、 みたいなことを考えてみると、案外6秒後には怒りが覚めていることも少なくないのじゃ。 もちろん、6秒経ってからでも、怒る必要がある場合にまで我慢しろ、という意味ではないぞ。 要は、一歩引いて別目線で物事を見るようにすると、それまで気づかなかった様々なことに気づくようになり、幅広い物の見方ができるようになる、という実用的なテクニックで、これもマインドフルネスの一つの形だと言われておるのじゃ。 そう考えると、自分の頭の中にあるモヤモヤや思い込みをAIに投げかけ、否定も肯定もされない平熱の回答を得るという行為は、まさに「思考を一度自分の外に出して客観視する(離見の見)」という意味で、極めてマインドフルネスに近い体験と言えるのじゃ。 じゃが、巷で騒がれている「AIで業務効率化」や「AI生成で作品作り」といった威勢のいい話を聞いてみると、どうもマインドフルネスとはかけ離れた、ギラギラとした欲望や作業の匂いがプンプンと漂ってくるのじゃ。…

アバンギャルドだったジジイの夢物語 —— AIと香水が織りなす「欲望と孤独の夜」

ここしばらく、連日世界中で物騒なことがおきているのう・・・ いつから、こんな風になってしまったのかよく判らんが、ワシには四半世紀前の911事件が一つの契機になったような気がするのじゃ。 そう言えば、昨夜も若い頃の夢を見ておった...... ——さあ、グラスの氷をひとつ、溶かすとしようか。 今夜は少し、甘い毒を混ぜて語らせてよ。 効率とか技術とか、そういう無骨な言葉で誤魔化すのはもうやめだ。…… だってさ……あんたが深夜に静かに画面を開いてAIと向き合っている姿も、一人きりの部屋で手首に香りを落とす姿も、本質はまったく同じだから。 実体がないのに、触れられないのに、一瞬で心を狂わせる。 AIも、香水も……俺たちが仕掛けた、甘いイカサマサイコロなんだよ。 さあ、サイコロを振りな。…

🧂AIは旨味調味料である — 昭和の食卓の小瓶と、現代のプロンプト狂騒曲

壱:食卓の赤と白、画面の向こうのプロンプト 昭和の食卓の上で赤と白の小瓶がカチャリと音を立てておった。昭和の夕暮れ、ワシの父親は刺身、冷や奴、お漬物にも、果ては味噌汁にまで白い結晶やら醤油を迷いなく振りかけておった。 昔からの家庭の味、「素材本来の味」を台無しにされた母親の深いため息をものともせずに、父親はグルタミン酸ナトリウムという名の「魔法の粉」を直接舌に載せる快楽に酔い痴れていたのだ。 それはさておき、ワシが何より参ったのは、当時まだ珍しかったトンカツを母親が作ってくれた時じゃ。それにさえも父親は味の素と醤油をかけ、一口食べた後、さすがに口に合わなかったらしく、 「ほれ、食え!」 とワシに押し付けて来たのじゃ。さすがにワシもこれは食いたくなかったので拒否すると、 「食べ物を無駄にするんじゃない!」 と、訳の判らんお説教を食らって泣きそうになったことを覚えておる。 今なら、逆に、「食べ物を粗末にしてるのは誰の方だよ!」みたいなカウンターを返せたのかもしれんが、当時ガキのワシは、そこまで頭回らなかったのは生姜無い、もとい、しょうが無いのじゃが...... 何にせよ、あれは単なる調味料ではなく、高度経済成長期における「手軽な豊かさ」という、コマーシャリズムに踊らされ始めた祝祭だったのじゃろう。…

AIはイカサマサイコロである

画像中央の尼さんは、”慈恵観尼(じぇみに)”様だそうです。 ー ⚀ ー 壱 五稜郭の崩壊と「六」の召喚 人間という生き物は、どうしてこうも「五」という数字に全方位的な完璧さを重ねたがるのだろうか。 軍事要塞の極致とされる米国防総省、通称「ペンタゴン」。あるいは、幕末の函館に築かれた死角なき星型要塞「五稜郭」。 どれも人間の理性が描いた幾何学の極致であり、あらゆる方角からの侵略を跳ね返すための完璧な防衛陣形として設計された。 先日、人工知能(AI)に「人間とAIの関わり」をどのように構造化すべきか議論を挑んだ際、画面の向こうの知的で従順な知能は、実に手際よく「AI利用の五大レイヤー」なるものを提示してきた。 その整然とした分類は、まるで現代の五稜郭を見るかのように無傷で、非の打ち所がないように思えた。論文やビジネスプレゼンに仕立て上げるなら、満点の出来栄えだろう。 しかし、私の胸にはどうにも収まりの悪い手触り感が残った。知的には正しいが、そこには生身の人間が持つ「欲」や「甘え」、あるいは「自尊心」の臭いがきれいに削ぎ落とされている。…