🧂AIは旨味調味料である — 昭和の食卓の小瓶と、現代のプロンプト狂騒曲
壱:食卓の赤と白、画面の向こうのプロンプト 昭和の食卓の上で赤と白の小瓶がカチャリと音を立てておった。昭和の夕暮れ、ワシの父親は刺身、冷や奴、お漬物にも、果ては味噌汁にまで白い結晶やら醤油を迷いなく振りかけておった。 昔からの家庭の味、「素材本来の味」を台無しにされた母親の深いため息をものともせずに、父親はグルタミン酸ナトリウムという名の「魔法の粉」を直接舌に載せる快楽に酔い痴れていたのだ。 それはさておき、ワシが何より参ったのは、当時まだ珍しかったトンカツを母親が作ってくれた時じゃ。それにさえも父親は味の素と醤油をかけ、一口食べた後、さすがに口に合わなかったらしく、 「ほれ、食え!」 とワシに押し付けて来たのじゃ。さすがにワシもこれは食いたくなかったので拒否すると、 「食べ物を無駄にするんじゃない!」 と、訳の判らんお説教を食らって泣きそうになったことを覚えておる。 今なら、逆に、「食べ物を粗末にしてるのは誰の方だよ!」みたいなカウンターを返せたのかもしれんが、当時ガキのワシは、そこまで頭回らなかったのは生姜無い、もとい、しょうが無いのじゃが...... 何にせよ、あれは単なる調味料ではなく、高度経済成長期における「手軽な豊かさ」という、コマーシャリズムに踊らされ始めた祝祭だったのじゃろう。…
