シェフのオススメ「まかない料理」は、おすすめか? - 風流な「まかない料理」

 

「賄い」(まかない)の本質に気づいた瞬間

今年、せめて一品だけでもお節料理を作ろうと黒豆を煮たところ、大量の煮汁が残ってしまいました。

この煮汁を無駄にしたくないので調べたところ、粉寒天を加えて数分煮るだけで「黒豆風寒天」ができるというアイデアに出会いました。レモン汁一滴加えることで、カンテンの海藻臭を抑えられることもわかりました。

実際に作ってみると、何の飾り気もない黒い塊が家族にも好評でした。
もしかして、これが賄い料理の本質なのか?と、気づいた瞬間でした。

黒豆を作った経緯については、下記の記事もご参照ください。

https://baneedksy.wordpress.com/2025/12/29/kuromame_ai/

最近感じる違和感

最近、テレビのグルメ番組だけでなく、飲食店のメニューでさえも「賄い料理」「まかないランチ」といったものを目にすることが少なくありません。
ですが、これって、お得感や「本物の味」をイメージさせようとする悪徳セールストークのようにさえ思え、なんだか、とても、… 変だと感じています。

自分で黒豆の煮汁から寒天を作ったこともあり、余計にその違和感が強くなりました。

「賄い」とは本来何だったのか

賄い料理は本来、飲食店の裏舞台で生まれたものだったはずです:

- スタッフが余り物や端材を活用して作る食事
- 食材を無駄にしないという職人の工夫と矜持
- 素材の価値を最大限に引き出す技術の見せ所
- あくまで内輪の、経済性と創意工夫の産物

つまり「賄い」という言葉には、食材への敬意と職人の誠実さが込められた、裏方の文化です。

私の黒豆寒天のように、「余ったものをどうにかしたい」という切実な思いから生まれるもの——それが賄いの原点ではないでしょうか。

商品化された瞬間、それは「賄い」ではなくなる

ところが、これをメニューとして商品化し、「賄い料理」として売り出すとどうなるでしょう。

その時点で:
- 価格設定もコスト管理も、通常メニューと同じプロセスを経ている
- 「余り物の活用」ではなく、計算された「商品」になっている
- 本来の経済性は失われ、マーケティング用語と化している

つまり、言葉の持つ「裏方の誠実さ」を、消費を促す道具として利用しているのではないでしょうか。

もし、自分が「黒豆料理」屋さんだったら、
黒豆の煮汁が余ったから寒天を作り、身内で食べる
—— これは賄い。

最初から「黒豆寒天」として商品企画し、メニューに載せる
—— これは賄いではありません。

もし誠実に表現するなら

もし店側の意図が「職人の創意工夫を見せたい」という誠実なものであれば:

- 「賄い料理風」あるいは「賄い風料理」といった表現を使う
- 本来の賄いではないことを正直に示す
- インスピレーション源として「賄い」を位置づける
- そして何より、適正な価格設定にする

」という一文字を加えるだけで、言葉の誠実さを保ちながら、コンセプトを伝えることができます。これも、別の意味での”風流"なのかもしれません。

言葉を大切にすることの意味

「賄い」という言葉を安易にマーケティング用語として使う店は、慎重に判断した方がよいかもしれません。

なぜなら、言葉の使い方は、その店の姿勢や価値観を映す鏡だからです:
- 言葉の本来の意味を理解しているか
- 食材を大切にする姿勢が、他の面でも見られるか
- 価格設定は本当に良心的か

「賄い」をメニュー名に加えている店の価値は、慎重に見極める必要があります。

おわりに

黒豆の煮汁を捨てられなかった、あの時の気持ち。それが賄いの原点だったのだと思います。

本来の「もったいない精神」が、消費を促す道具になっている——この逆説に、私たちはもう少し敏感であってもよいのではないでしょうか。

言葉を大切に扱う姿勢そのものが、食文化への敬意につながると信じています。


※AI生成の見出し画像中の、ソースで描いた「?」は、私の落書きです。